フランス憲法は第一条で「フランスは、不可分の、非宗教的、民主的かつ社会的な共和国である。フランスは、出自、人種あるいは宗教の区別なく、すべての市民の法の前の平等を保障する。フランスは、あらゆる信条を尊重する」とその理念を謳っている。そのフランスでは外国生まれの移民とその2世などが全人口の19%を占めるようになっている。人口の5人に1人が非白人なのである。2018年のサッカーワールドカップを制したフランス代表チーム23人中の15人がアフリカ系のフランス人だった。見事な世界デビューを飾った次世代のスターであるエムバペの父親はカメルーン人、母親はアルジェリアである。またフランスのイスラム教徒は470万人を超え、人口の7.5%とヨーロッパ一高い比率になっている。
ヨーロッパの主要国は、国民に占める移民の比率が高まってきているが、移民受け入れに最も積極的なドイツも同様に移民が19.5%、イスラム教徒も400万人を超え、人口の5%に達している。イタリアでも移民は全国民の10%のなろうとしており、150万人(人口比2.6%)を超えるイスラム教徒がいる。イギリスではイスラム教徒は280万人(人口比4.6%)を超えている。このG7の4か国のイスラム教徒がヨーロッパのイスラム教徒(ヨーロッパ全体の人口の4.5%)の72%以上になってる。
ヘンリー王子と結婚したアメリカの女優メーガン・マークルはアフリカ系アメリカ人のハーフであるが、イギリスにおける黒人は全体の3%にあたる約200万人に過ぎない。イギリスは有色人種は少なく、最も多いのがインド・パキスタン・バングラディシュ出身のイギリス人が4.9%で、それを含むアジア系が6.9%になっている。イギリスは約87%が白人で構成されているという点では、G7の他国とはかなり特殊な環境である。立憲君主制である点でも、ヨーロッパの3国の共和制と異なっている。
建国当初はイギリスからの移民が70%を占めていたアメリカは、今では屈指の多民族国家になっている。2010年で白人は72.4%、アフリカ系が12.6%、ヒスパニック6%、アジア系4.8%になっている。またカナダも白人が76.7%で、アジア系が12.4%、先住民が4.3%、アフリカ系は2.9%になっている。
「G7の国の中で、我々は唯一の有色人種であり、アジア人で出ているのは日本だけ」と麻生副総理兼財務相が9/5の「安倍晋三自民党総裁を応援する会」で発言しているが、G7の国々は異民族や有色人種を国民としている国家であり、冒頭で紹介したフランス憲法の条文と同じような理念を持っていることが分かる。その観点から日本だけが白人の作った主要国の集まりの中で唯一の有色人種の国家だということを誇るということの思想的な背景が気になっている。
麻生副総理はかつて、日本は「一国家、一文明、一言語、一文化、一民族。ほかの国を探してもない」と発言していたこともあり、その点からも、安倍総理が強引に進めようとしている憲法改正の思想と共鳴しているような気がする。
だがわが国が抱えている現実はどうかというと、在留外国人は250万人で、そのうち43%が永住権を取得している。在日韓国・朝鮮系は33万人、中国系は23万人である。2017年には128万人が移民として日本で働いている。2016年の労働人口は6,648万人であるから、外国人労働者に対する依存はまだ約2%でしかないが、日本の労働人口は50年後には2016年の40%程度まで落ちると予想されており、日本の産業を維持するためには、今後より外国人労働者への依存が高まることは間違いない。麻生副総理が言うようなわが国の単一性は明らかに幻想の域に達しつつあるのである。すでにわれわれの目に付く範囲だけでも、先日の全米オープンで優勝した大坂なおみ選手、オリンピックの男子400mリレー決勝の第4走でジャマイカのボルトと優勝を争ったケンブリッジ飛鳥選手、2015年のミスユニバース日本代表の宮本エリアナさん、ラグビー日本代表のリーチ・マイケルなど、麻生副総理が考えているだろう日本人像は崩れつつあるのだ。
そのような認識に反している麻生副総理の発言は、平成24年に発表された自民党の憲法改正草案の前文「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。 我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。」や第一条の「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」という部分に微妙につながっているような気がして、薄気味が悪い。前文は立憲君主制を宣言するものだが、第一条は一歩踏み込んで、あえて象徴であるはずの天皇を国家元首として二重に位置づけようとしている。天皇を元首とすることは大日本帝国憲法の第4条の復活である。尤も第五条で「天皇は、この憲法に定める国事に関する行為を行い、国政に関する権能を有しない」天皇の政治関与を否定しているが、戦前の憲法の思想に僅かながら近づいたように思えてならない。草案の前文は「日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する」と結ばれており、麻生発言にある「一国家、一文明、一言語、一文化、一民族」という国家観がその裏側に隠されているような気がしてならない。
現憲法の前文は美しく、自民党の草案の前文とは比べ物にならないくらい、普遍的な宣言がなされている。そこでは「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」と憲法が国家を規制することが明らかにされているが、自民党の草案ではこの部分が「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる」と全体主義的な文言に置き換えられている。そして前述の結びの文章が来るのだが、現行憲法の前文の結びでは以下のようにわが国が平和主義国家を目指すことが宣誓されている。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
これは現行憲法の第九条を裏付ける精神であるが、集団的自衛権や治安維持活動の行使を認めている自民党草案の第九条を今後拡大解釈して行く上で不都合が生じるから削除されているのではないかと勘繰ると言い知れぬ不安を感じるのである。
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